2011年7月3日

モナコ、アルベール大公の結婚 

モナコ国民はどれほどこの日を待っていたことでしょう。
長年独身を保ち、多くの女性との多くの噂がささやかれていたアルベール大公。
ついに、モナコのファーストレディとなるべきシャルレーヌと結婚。

アルベールが長年結婚の決心がつかなかったのは、彼の母グレースのイメージが、あまりにも強かったためと見られています。
たしかにモナコが世界の注目を浴びるようになったのは、ハリウッドの大スターであったグレース・ケリーが、レニエ大公と結婚するためにモナコ入りしたときから。

それ以来モナコ公室の様子は、世界中のメディアが報道し続けていました。

特に唯一の王子アルベールは、生まれたときから、成長のすべての過程が世界中で語られていました。そして今、待ちに待った結婚。

その大きな期待を寄せた結婚式は、二度にわたって行なわれました。
まず7月1日に、宮殿でもっとも豪華な玉座の間での「市民結婚」
出席者は親族や証人など、ごくわずかな人のみ。
誓いを交わし、結婚証明書にサインしたその瞬間に、シャルレーヌはモナコのプリンセスになったのです。

その後、宮殿の庭園にモナコ国民が招待され、ブュッフェパーティ。
夜はジャン・ミッシェル・ジャールからのお祝いの大規模なコンサート。
そこに市民結婚を終えたアルベール大公夫妻も出席。

翌日7月2日は、王家の人々、政界、財界、モード界を代表する招待客が見守る中での「宗教結婚」
本来は「宗教結婚」はカテドラルで行われるのですが、アルベールは多くの人に出席して欲しいという希望で、宮殿の内庭に特別に祭壇を設け、そこで挙式。その内庭に、世界中から集まった王室の方々と元首などが着席し、宮殿前の広場にも多数の招待客。式の様子は大きなスクリーンで見るという配慮。式の招待客は全部で3500人。

カトリックの国での正式な結婚は、このようにふたつの結婚が必要。
一般の人も同じこと。人によっては「市民結婚」のみにすることもあります。


シャルレーヌのウェディングドレスのデザイナーは、いろいろ語られていましたが、選ばれたのはアルマーニ。そういえば、婚約時代から彼の作品を愛用していたシャルレーヌです。
彼女の頭には期待していたティアラはなく、シニョンに髪飾りとして宝石を付けていたのが、とてもさわやか。アルベールの姉キャロリーヌが選んで貸したのです。これはヨーロッパの王家の習慣なのです。

シャルレーヌの美しさは格別。控えめだけどユーモアもあるという。モナコは本当に素晴らしいファーストレディを迎えたものです。
神と多くの人々の前で将来を誓ったおふたりは、ここで再び結婚証明書にサイン。

その後、オペラ座裏手の海に面したテラスに、特別に設置された会場で祝賀ディナー。お料理はもちろんモナコ住民になったアラン・デュカスによる逸品。
オペラ座での舞踏会、花火がそれに続き世紀の結婚式は華麗な余韻を残して終了。

レニエ大公とグレース・ケリーの結婚式のときには、国家元首も王家の人もひとりも出席しないで、ほとんどがスターだったのに比べ、今回は40カ国にも及んだそう。
モナコが大国として認められている証拠。

数日前からシャルレーヌがモナコから脱出を図ろうとしたという、信じられないような噂が流れていましたが、それを振り切るような盛大な結婚式。
フランスはすごい騒ぎで、7月2日は一部始終をテレビで実況中継。
だからそれを全部見ていた私も、すごく忙しい一日でした。